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『一色一生』日本人の色彩感覚

 桜が咲く季節になると必ず読み返す本があります。それは『一色一生』です。著者の志村ふくみさんは、自然の草木を煮出した液で糸を染め上げる染色の仕事をしていました。クチナシ、桜、紫紺、蘇芳。染まる色の表現は変化に富んで、手で染め上げることから生まれる美意識を文章から感じ取ることができます。

 

 梅を染める話では、工程ごとの仕事の様子が目に浮かんできます。色彩感覚が細かい印象を受けるのは、微細な色を見分ける観察眼があるからだと感じます。そして文章は無駄がなく流れるように進みます。

 

 「鮮やかなバラの花を煮出すと、朱鷺色、臙脂色と変わり、赤みがささない」。こうした表現は、実際に変化を間近で見て記録に留めてきた人でしか書けないことです。自然が変化することに直に触れ続けたから書ける文章で、エネルギーが満ちていくことや薄れていくことに対しての感度がとても高いことが感じられます。

 白梅と、紅梅にわけて、釜に盛り上るほどの枝を煮出しました。煮上った液はまるで梅酒のような琥珀色です。白梅の方がいくらかうすいようでした。その液に糸をつけると青みの底光りする淡い珊瑚色に染まりました。(17ページ)

 

幹で染めた色が桜色で、花弁で染めた色がうす緑ということは、自然の周期をあらかじめ伝える暗示にとんだ色のように思われます。(18-19ページ)

 

 この本の中で、私が梅や桜、藍の話を超えて好きな箇所は鼠色の話です。平安時代の人が襲(かさね)で色を組み合わせたように、志村ふくみさんは多彩な色を感じ分けて文章に著しています。色のグラデーションのある世界の中で、純度の高い作品を創ろうとするなら、ひとつひとつの要素に名前をつけてもなお、その間と間に無数の様相があることに考えを巡らせています。

 四十八茶百鼠といわれるほど、われわれ日本人は百に近い鼠を見分ける大変な眼力をもっています。それはむしろ、聞きわける、嗅ぎわけるに通ずる、殆ど五感全体のひらめきによるものと思います。(31ページ)

 

 音階でいえば、半音階のまた半音とでもいいたい色合で、一つの音と音の間にどれほど複雑な音がひそんでいるか。それは色においても同じことです。しかも植物染料ではその一つ一つが異なった植物からとれる色であれば、一つの色の純度を守る以外に、その色を正しく使うことは出来ないのです。いいかえれば植物の色を染めることは、その植物の色の純度を守ることです。これは植物染料をあつかう上で、最も基本的な態度だと思います。

 過去において、繊細を極めた日本人の色彩感覚が、そのあたりまで掘り下げられていたとしたら、われわれはその道すじを絶やしてはならないと思います。(32ページ)

 

 日常的に考え続けている態度は、身の回りの出来事からも深い考察を生みます。志村ふくみさんは、京都の住まいから谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を関連づけています。

 通りにじかに面した家に住むのは初めてで、勝手口という別の入り口がついているのが、当たり前と思っていたところに、来客も御用聞きも表玄関にまず入り、そこから座敷へ上るもの、厨にまわるものと分かれているのも珍しかった。表をとおる車や、人の姿も連子格子をすかして絶えず見えている。

 嵯峨の旧愛宕(あたご)街道に面しているから、天竜寺の托鉢の御坊さんや、庵主さんも時折通られる。座敷は奥まっていて、長い渡り廊下と中庭に面した縁側の奥にあるから、昼間でもうす暗く、しんとしている。中庭の大きな松の枝ごしに射す光線が深い庇を超えて、縁側から、白い障子紙をとおして、ようやく、床の間の砂壁にたどりつくころには、あるかなきかの弱弱しい光になって、その光の吸い込まれてゆくあたりに朦朧とした小暗がりがあって、違棚や花活けのうしろに闇がひろがっている。(123-124ページ)

 

 光と影、色の濃淡や変化、見えているものと見えていないもの。生活の場から仕事の場へ、仕事の場から生活の場へ、周りの出来事から思考して、循環させ、変化を捉える。純度の高いものを漉し出そうとする人の態度が感じられます。

 

 色即是空の思想や、ノヴァーリスの「すべてのみえるものは、みえないものにさわっている~」という詩に関して、目には直接は見えていないものや、触れられないもののエネルギーを感じ取る態度が説かれています。それは、花びらよりもむしろその幹や枝の中に、鮮やかな色を現すエネルギーが宿っていること。そして、今過ぎ行くことのなかに来るべきことの兆しがあることです。それらに感化されると花暦が楽しくなってきます。梅や桜を過ぎた先にも、菖蒲と紫陽花、桔梗に向日葵。数か月後の花暦を待つ楽しみが生まれてきます。

 

 待つこともまた楽しみとしている態度、そしてある種の確信と期待と不安が織り交ざる気持ちを抱えながらも、することを成して待つ。そうした心持ちを、志村ふくみさんの『一色一生』は教えてくれます。

 

 単行本は本を読むごとに手に馴染みます。内容を忘れては読むことを繰り返して、今では10年以上自宅の本棚に置き続けています。引っ越しをしても捨てずに持ち続けてきた本です。読みたい文章のページを探し当てる度に、背筋がスッと伸びて、懐かしい気持ちになります。