今日の1冊は『ルポ・誰が国語力を殺すのか』です。暴力やいじめ、不登校の一つの原因を国語力から考える1冊です。
1.不登校の原因は「無気力・不安」
学生の不登校の原因は何か聞いたことはありますか?
実は、『無気力・不安』が一番多いです。
これは、自分の子どもが「学校に行きたくない」と急に言ったとき、それが「何かが嫌(原因がある)」なのか「わからない」なのかによって、できることが変わってきそうです。
原因が分からない不登校について「自分に起きた出来事を言葉で説明して理解することができないから、しんどい」という状況が起きています。
その助けになるのが国語力です。「つらい、しんどい」や「死にたい、消えたい」と言うとき、その短い単語からは色々なことばがつながっています。言葉を重ねることで、いじめが明らかになることもあります。
2.国語力は深く考える力
この本を読んで、国語力とは「即答した言葉以上のことを、もうちょっと考えてみる態度」のことだと感じました。
よくわからない対象に対して「つらい」、「うざい、キモイ」と言う選択肢以外に、「期待通りに言って欲しかった」「裏切られたのが残念だ」のように掘り下げると、また変わってきます。大人でも難しいことですけれどね。
適応と不適応の分かれ目は、「何がどのように起こって、どんな気持ちを感じたか?」を説明できることに行きつくように思います。原因は1つではなく組み合わさっています。
ネット環境についても解説されていて、注目するのは、子どもにとってネット上のオンラインの言葉と日常の言葉が、ほとんど同じようになっているという状況です。
3.学校をサバイバル環境にする言葉
本の中で一番目を引いたのは次の文章でした。
一般的にネットでつかわれている言葉であれば、子供たちは「日常の言語」だと考え、他人を傷つけるほどの暴力性を伴うものと言う認識を持たない。
たしかに、どこかの誰か、名前も顔も身長もわからない人が書いた言葉でも、多少は影響されます。「ガイジ(障害児)かよ」や「死ねよ」と書かれた言葉が、今もどこかで残り続けています。
人を黙らせる言葉をためらいなく使えるようになることが、仲間内で成長したように感じられる時期はあります。強い言葉は魅力的で、依存しやすく、いつでもどこでもぶつける相手を必要とします。そうしているうちに、強い言葉を使い続けることでしか人と関われなくなっていきます。
もしも、学校の教室から始まる関係が、本当にサバイバルで、強い言葉を使わなければ生き伸びられないほど過酷な環境なのだとしたら、そうした環境に適応できてしまう子どもの方が危ないのかもしれません。
その逆に、適応しきれない子どもの方が、ある種の安全センサーが機能しているのかもしれません。
4.10代からのアサーションスキル
私は特定のワードを禁止にしても効果は薄いと思います。30代を超えて「キモイ」や「ウザイ」を使う人だって実際にいますし、「妖精、奇行種、のっぽ」と、面白半分に言葉を無限に生み出す人もいるので、語彙力も使い方次第です。
人の言葉を制限しきれないように、いじめをゼロにすることはできません。だからこそ、対処法としてアサーションスキルの知識や技術は持っていて損はないと思います。
私は、日本の学生にはまだ馴染みの薄いアサーションという考え方がどんどん広まって欲しい、アサーションを広めたいと考えています。これは「角を立てずに主張をして、自分も周りも楽に過ごしていこう」と言う考え方です。
5.次の本はこれ!
関係性が深い3冊を紹介します。
『まとまらない言葉を生きる』
自分の生きてきた人生が、短い言葉で完結にまとめられて削られてしまうことへの危機感に触れている本です。
人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏に紛れ込んでいることへの恐れやためらいの感覚が薄くなってきた
「要約」というのは、「お前は、この私にとってわかりやすい存在であれ」といった傲慢さと隣り合わせだったりする。
『非・場所』
リアル対面とオンラインでは、どのような関わ方の違いがあるかを考える本です。土地に縛られない交流によって、得られるものと失われるものを解説する1冊です。
『一色一生』
著者の志村ふくみさんが、染色家をしていた頃に残した本です。桜の枝に花びらの色を出すエネルギーが込められているという文章は、国語の教科書や問題集で触れた人がいるかもしれません。読むたびに目が冴えて背筋が伸びます。
6.まとめ
国語力は身を助けてくれます。
何かしらの被害から身を守るだけでありません。人は言葉で世界を広げていけるので、無気力から回復することもできます。自分が本当に良いと感じた本を何度も読むといった行動も国語力だと私は思っています。