聴覚投資と杖ことば

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病名を診断される前の「身体感覚」を大切にする 『体の知性を取り戻す』(尹雄大)を読んで

この本では武術に取り組んでいる著者が身体感覚と運動をテーマに、個人の身体感覚と外部環境のパワーバランスについて解説しています。世の中の当たり前の慣習や同調圧力に対して個人の身体感覚を大切にする態度のすすめは、病院で診断される「病名」について考えるきっかけを与えてくれます。

 

 

1.身体が感じる「なんとなく」を重視する

1-1 体の知性とは何のことか

 「体の知性」とは「体に入力された刺激に対して、出力としての反応をスムーズに行うこと」です。この刺激-反応(=行動)は、本来は言葉を当てはめる以前の、ある種の危険察知能力であり、「なんとなくこちらの方が〇〇な気がする」という感覚をすぐさま行動に移す力と言えます。

 

 著者は、その「なんとなく」ある感情を抑制して行動を制限するものとして、過去の習慣・マニュアル・パターン・教育体制・固定観念・まわりの空気・武道の型などを挙げています。

 

 

1-2 痛みに鈍感になることの要求に「No」と言う

 興味深いことは、武術に親しみ「型」を繰り返し鍛錬してきた著者が、その「型」を批判的に語ることです。著者は、自分と他人のパワーバランスを武術の「重心」にたとえて解説します。

 

 武術において身体を動かすことだけを目的とするなら、そこに自分の身体感覚の認識や振り返りはなく、決められた「型」という相手に重心が偏っています。同じように、慣習や周りの空気に100%同調して行動することも、自分自身の感覚を軽視して、重心を相手に委ねる行動だと作者は説明します。

 

 痛みは体の警告だ。(中略)我慢すればするほど正しいし、努力している証だという倒錯した世界に入っていくと、体の声が聴こえなくなる。(61頁) 

 

 さらに、著者は「空気や慣習に合わせることは、突き詰めると痛みに鈍感になることの要求を受け入れることであり、しごきや痛めつけに耐えることで『耐えれば耐えるだけ良い』という価値判断が刷り込まれて、身体の鍛錬がどんどんと感覚を鈍らせる方向に進んでいく」と言います。

 

2.少人数教育や対人支援にこの本を活かす

    広い意味での教師や体に触れるセラピストは、先に予定していた計画や型・慣習・パターンを、相手の状態に合わせて微調整しながら仕事を進めます。

    少人数制の指導や社内教育、対人支援に関わる人たちにとって、この本に書かれている「相手の身体感覚に注目して、相手の動作がスムーズかどうか (あるいは何が動作を妨げているか) を重視する考え方」は相性が良く、仕事での態度に共通する内容が書かれています。

 

 

3.病名と身体感覚・心情をセットで語る大切さ

3-1 身体感覚が「診断と治療」への出発点

 ここからは私の考察。著者の「言葉以前に身体感覚がある」という視点は、ことばの一つである「病名」を考える時にも重要な視点になります。体あるいは心の「なんとなく」を手掛かりに、人は医師の診断と治療を求めます。診断がつくだけで気持ちが落ち着くこともあります。

 

    人の体が別々に分かれているように、病気はどうしようもなく個別的で、病気(とくに慢性・難治性・進行性、原因不明) を抱えて生きている人は、病気によって「みんな」に加わることが難しい場合があります。その当事者の言葉は、大っぴらには語られないからこそ貴重であり、当事者は医師に与えられた病名を持って自身の状態を語ることで、社会とつながることができます。

 

3-2 病名を誰がどのように語るか

    当たり前の事ですが、病名は特定の個人の身体・心の状態と結びついています。それに対して、メディアが病態の目立つ一部分を強調して報道したり、組織の中で「周りのみんな」の空気に合わせて「病名のイメージ」を確かめ合ったりする場面があります。そのときに当事者の身体感覚や心情を無視して病名が使われる事は多くあり、時には相手を貶めるために病名が使われる事があります。

 

    病名を誹謗中傷する言葉の代名詞として使うのは、①当事者の(言葉にならない)不調の訴えを無視して②診断と治療を求める態度を軽視する、二つの意味で品位のない最悪の言動です。

 

    人間いつかは、病名と自分の身体感覚(身体症状の訴え)をセットにして考える時がくる。その時、まったく同じ状態の「みんな」は周りにいません。薬の効き方もそれぞれに違います。「みんな」と違う状態に人は孤独を感じると仮定するとして、その孤独を過ごす何かしらの力は、「空気を読むコミュニケーション」では鍛えられません。

 

 診断される前の時点の身体の違和感を感じ取り、状態の改善を求める人にとって、その病名が「救い」であるという事は、当事者が強く自覚していることではないでしょうか。

 

3-3 イメージを知識で塗り替える

 刷り込まれた不可解な病気のイメージは、正確な知識を淡々と積み重ねることで塗り替えることができます。大きな書店に行けば万人向けに分かりやすく説明した本があります。ネットで検索をすれば、数が少なくて探しにくいですが当事者の語りも見つけられます (その際は、PVを稼ぎたいだけの人や、寂しくて社会とつながりたいだけの人が病名を語るノイズを取り除く必要はあります。いわゆる「俺コロナ!」です。区分けは難しいですが……)。

 

 医療は臨床の積み重ねの結果であり、患者や研究者にとって分からない部分は必ず残る。その曖昧な部分を残していても、当者が病院以外の場所で、病気を抱えて、かつまずまず上手く活動(行動)・社会参加ができる環境づくりの視点は大事です

 

 身体感覚は診断を求める気持ちの出発点です。病名が悪いイメージにまみれて、人が身体感覚の違和感や診断を求める気持ちを抑え込んでしまわないように、病名の正確な知識と当事者の身体感覚、そしてできれば当事者の気持ちがセットで語られることがとても大事です。

 

さいごに

    ことば以前に身体感覚があるという著者の考えは、社会の慣習や周りの空気と折り合いをつけながらも、「自身の感覚をベースに、物事を自由に感じ考えていい」という、一つの方向性を示してくれています。

 新型コロナウイルスという、特定の病名が世界中のテーマになっている今だからこそ、病名が人の活動を制限するというマイナスの面を見るだけでなく、病名が当事者の生活を良くするための手掛かりであるというプラスの面に目を向けた活動が、静かに広がってほしいと思う。

 

 

 <参考文献・引用元>

『体の知性を取り戻す』尹雄大 講談社現代新書 2014年9月20日 初版