生活を豊かにする、本と言葉とオーディオドラマ

~オーディオドラマや朗読の名作、明日使える経済・投資の本、たくさんあります~

紙の本は五感を刺激する『パンデミック下の書店と教室』感想

いま、近所の書店は開店しているでしょうか?

 

リアル書店が閉店しても、アマゾンや楽天ブックスがあれば十分ですか?

 

去年の2020年に初めて緊急事態宣言が出たときに、本屋が閉まったことで手軽に本にアクセスできなくなりました。聞き慣れない単語の意味を自分自身の頭で判断して考える必要に迫られました。

 

 

手軽に異文化に触れられる場所だった書店が閉まり、学校や習い事教室は距離が遠くなりました。異文化や他人と出会わないことで、生活がつまらなくなる中、本は貴重な娯楽でした。

 

自粛もテレワークも、自分の生活にとっては本当に良いのかわからない。この1年は、単語の良し悪しを自分の頭で考えて行動する必要に迫られた1年でした。

 

今までも、絶対に良いと思っている単語は、本当に「良い」言葉だったのでしょうか? この本を読んだ後、下の画像をスライドさせるように考えました。

※画像は左右に動かせます

 

 

目次

 

 

1.アマゾンで本が品切れになった日

始めて緊急事態宣言が出された2020年の当時、本の流通環境が大きく変わりました。近所の書店が休業し、アマゾンでは医療物資の配送を優先するために品切れのページが増えて、本が届くのは1か月待ちか入荷未定という状態が続きました。

 

私が感じたのは、強烈な本への飢餓感でした。図書館も閉館してしまったため娯楽が減り、仕事で必要な資料へのアクセスも制限されました。明らかに割高な中古本を購入したりもしました。 

  

知識をアップデートできない環境になって初めて、本屋があたり前に営業していることのありがたさを感じました。

学校の休みが続き、わが子の教育に不安を覚えながら参考書やドリルをまとめ買いしてくださるお客様、授業がいつはじまるのかも見えず、不安を抱きながら教科書を買い求める大学生、自宅待機の無聊を慰めるためか、時代小説やエンタメ小説、コミックを何冊も抱えてレジに来られるさまざまな年齢層の人たち……。(中略)いまなお、「本も、ライフラインだった」のです。(53ページ) 

 

2.退屈な日々に本があった

見知らぬ人と出会う機会は減り、知っている馴染みの人達と目的のある時だけ出会う毎日が延々と続きます。異文化に触れようとしなければ、生活は同じことの繰り返しになります。

 

約束された場所で、約束された要求をして、約束された結果を受け取る。自動販売機とのやりとりを1日中続けているような味気なさがありました。そんな環境で、本棚の本や、毎日放送されているオーディオドラマは、生活に新鮮な刺激を与えてくれました。

 

3.本を読む人だけが得られる力はこれ

本を読む人だけが得られる力、それは、単語の意味を文章で考える力です。これは、単語から複数の物事を連想する力、多面的に物事を考える力、対象を細かく分けて名付ける力です。

 

これは、実は育児で出会う、人間の赤ちゃんの発達と似ているところがあります。

 

3-1 粗大運動から微細運動が発達するから面白い

赤ちゃん,ハイハイ,粗大運動 クレヨン,お絵描き,微細運動,発達

子どもの運動能力は、粗大(そだい)運動から微細(びさい)運動へと発達します。感覚についても、快不快だけの状態から、ふりをする・見立てるなど、複雑な物事を理解できるようになります。

 

穴の開いたものをなんでもかんでも「ドーナツ」と呼んでいた時を過ぎて、ドーナツはドーナツ、ちくわはちくわ、ラップはラップと、だんだんと言葉が分かれていく様子はとても楽しいです。赤色、朱色、えんじ色と、言葉が分けられているから、違いを理解できるという一面もあります。

 

言葉を覚えるほど、感じとった世界を分けることができます。

 

3-2 くらげ:同調する消費者になると生き辛い

それに対して、荒っぽく世界をまとめあげる言葉が「ヤバい」という単語です。

 

不可解な人や嫌いな人、時間のかかる人とはコミュニケーションなんてしたくない! 好きな人とだけコミュニケーションしたい! そんな時に「ヤバい、すごい、エモい、こわい」という言葉を使うだけで、一言で「同調のコミュニケーション」ができます。

 

不可解な、わからない、理解に時間がかかる対象をバッサリと仕分けをして、思考を終わらせます。そこに「対話のコミュニケーション」はなく、相手の存在を「もう分かった」と単純化する傲慢さと、時々羨ましく思うような軽さを感じます。

 

芸能ゴシップや噂話をネタにして、「思っていた以上に、差異があってヤバい」と言う。おびただしい刺激に揺り動かされ、流され、漂い、周りと同じ感覚であることに安心する、まるでクラゲのようです。

 

クラゲ,海,群れ

 

同調するクラゲたちになんとなくなじめない人は「変」「陰」と言われやすい悲しい風潮はありますが、集団から離れて、何の変哲もない石ころを「石ころ綺麗」と一人で眺める人もいていいと思うのです。

3-3 石ころ綺麗:創造すると生きやすくなる

石ころ

芸術や創作作品を大事にする心は、そのあたりにある石ころを「綺麗」と感じる感性がベースにあります。喋りは上手くなくても、目立たない人でも、海の底の光の当たらない場所で転がる石を好いていい、書架の奥の、風も光も当たらない場所に置かれた本を好いていい。一人ひとり感性には違いがあります。

 

お互いの感性や生きてきた背景が違うという前提に基づいた関わりが「コミュニケーション」であり、そこには文章でやりとりをする力が求められます。多数の人が「石ころを綺麗と感じるなんてヤバい」という風潮があっても、その荒っぽい力に対抗できるのは、文章の力、ビジネスで言えばプレゼン力です。その力の源泉は感じたことを文章でまとめて表現する力です。

   

(略)そうした本を好む読者がいるからです。その事実を覆い隠して「心地よい」空間をつくっても、その事実そのものがなくなるわけではありません。「決して心地よいものではない」空間、それを成立させている社会的な現実を真正面から見据えて、排除の思想に議論・反論をぶつけていくことが大切だと思うのです。

 その議論・反論について考える媒体となるのは、やはり本です。 (46ページ)

 

自分の世界と、自分とは感性が異なる他人の世界をつなげることができるのは、文章の力です。自分の大切なものを軽々しく蹴飛ばしてくる下品な人たちからは距離を置いて、自信と確信をもって「石ころ綺麗」と言える人と友達になることで人生が楽しくなります。

 

本も、オーディオドラマも、イラストも、「自分には合わないけれど、好きな人もいるんだろうな」くらいに思うことが丁度いいと私は思います。

  

なぜなら、書店も教室もまさに「許容」の場所だからです。(中略)過剰、不足、トライ&エラーが平気で起こり、インプットと同時に<アウトプット=「いえる」>が「許容」される場所としての書店と教室です。(160ページ) 


好きな作品を文章で推す。

これが大事です。

 

 

4.紙の本は五感を刺激する 

本,音楽,朗読

紙の本では、物理的な圧力で閉じられたページをめくって風を当て、LEDの光と手の熱を当てます。固い紙の感触がすこしずつ柔らかくなり、本の重さが手になじむようになります。

 

日常の仕事や家事育児が忙しくて本を読めない日が続いたとしても、本の表紙や背表紙を眺めるだけで、本をじっくりと読んだ時の心動かされたときの感情を、数秒で追体験することができます。意識しなくてもそこにある、気づけば大切な存在を感じさせてくれることが、本を含めた文化芸術の良さです。

 

そして、紙の本は何もしなくてもそこに在って、存在感を感じさせてくれます。装丁やカバーも加わり、手触りを通して他者の世界とのつながりを感じることができます。

 

学校も、習い事教室も、書店も、年代を超えて同志を見つけられる場所です。 気兼ねなく通える教室と本屋は、人生を楽しむ力の源泉を提供してくれる場所として、ずっと開き続けて欲しいです。