※この記事は、自殺、メンタルの病気、ハラスメントのテーマを含みます。フラッシュバックが起こる可能性もあるので、危なそうな方はページを移ってください。
今日は、「社会が変わる直前に人が劇的に死ぬ出来事があるけれど、その役割をあなたが引き受ける必要は無い」という話です。
1.快適な社会への転換点に「劇的な死」がある
長時間労働を規制する働き方改革・パワハラ防止法・リモートワークは、2020年代にどんどん進みました。
今日伝えたいのは、こうして社会が変わる直前には「10代~30代の誰かが死んでいる」という事実です。それも映画館のスクリーンに映し出されるように、劇的な演出を付けて報道されています。
- 働き方改革 → 電通社員の自殺からスタート
- リモートワーク、リモート授業 → 新型コロナウイルスの流行で人が亡くなったことから増加。
ニュースを見ていると、「もしかして、今わたしが自殺すれば、ものすごく大きなインパクトを周りに与えられるかも!会社の人や、社会が変わってくれるかも!(苦しみから大発見!)」と考えがちですが、実際はひっそりとした自殺くらいでは会社組織はたいして変わりません。
人が死んだから集団が変わったというよりも、集団が変わらなかったから自殺した・マスコミがテレビニュースにするまで変わらなかったと考える方が妥当だと思います。
2.代わりにいじめられてくれてありがとう
働き方改革も、パワハラ防止法も、リモートワークも、学校のオンライン授業も、今の快適さが誰かの死を犠牲にした上で成り立っていると考える感性が私にはあります。
しかしそれでも、先に自殺した人に感謝をする気持ちは表しにくい感情があります。被害者への感謝のことばを具体化すると、自分が生きることへの罪悪感でいっぱいになりそうだからです。
- 法律ができて働きやすくなった。自殺してくれてありがとう。
- 私の代わりにパワハラを受けてくれてありがとう。
こう感じる気持ちがあるんです。この感情だけ見ると、自分が負担を払わずに利益だけを受け取るテイカーになったようなすごく嫌な奴に思えてきます。罪悪感を持ち続けることにだれもお金や報酬は払ってくれない、それなら、誰かが死んだ後の世界で、アップデートされた習慣に馴染んだうえで「今生きている相手」に貢献をした方が生産性が高い、という気持ちもあります。
私がおそらくこの先も実際に声に出すことは無いと思う感謝の言葉は、
- あなたが仕事ができないと笑われてくれたから、いくらか過ごしやすかった。
- あなたが上司のストレスのはけ口になってくれたから、わたしは標的にされなくて楽だった。
- あなたがいじめられてくれたから、私はいじめられなくて済んで助かった。
という保身的な感謝です。
私自身も上司のパワハラ・部下からのモラハラ・同性からのセクハラと、濃淡の違いはあってもひと通り受けてきて今考えることは、加害的な人間が力を持つ殺伐とした組織の集団を変えることは難しい、離れた方がいいということです。みんな「次の標的」にならないための行動に迫られているから、死んだ人にいちいち構っていられません。
ひっそりとした自殺の影響力は小さくて、人が死んでも加害者の態度は変わらないです。本当に集団をびっくりさせたいなら、社員の集まる朝礼で焼身自殺をするくらいの演出が必要かもしれません。
3.加害者に対抗する選択肢が貧困
10代、20代から60代まで年齢に関わらず、誰かを攻撃を受ける役目のスケープゴートに仕立て上げる人を見ると嫌になります。「馬鹿にするやり方を教えてあげる」とか、「みんなでちょっとずつ加害者になろうよ」とニタニタしながら近づいてくる人への対処法は上手くなりたいと感じています。
人をいたぶる加害者に対する行動の選択肢が「我慢・傍観・同調する」しか選択肢がないことは一種の貧困だと考えています。新入社員歓迎会での一発芸の強要や、脱ぎ芸のはやし立てや、若手にグーパンする人を止めなかった"あの日"の大勢の人たちは、家族を含めた生活を人質にとられていたと思います。「ここ以外の場所では働けない」と信じ込んで、加害的な権力者の前で黙り込むしかないと諦めきっていた人たちだったと思います。
加害者の幼稚な態度のケアをわざわざしてあげる必要はないですし、疲れ切った傍観者を奮い立たせるエネルギーをわざわざかける必要もないので、人生のどこでハラスメント系人間が現れた時に、淡々と「物理的に離れる」という選択肢を持ち続けることはとても重要です。
ハラスメントに備えて、働き方・副業・貯蓄・持ち家/賃貸・投資などの「お金の価値観」を作っておくことはきっと身を守ってくれます。
4.言葉にして供養する
加害生徒、パワハラ上司、ハラスメントをする年下部下、被害者が転校・卒業・休職・退職をすることで「逃げ切った人たち」は、今も教室で授業を受けていたり、元いた職場で働き続けて偉くなって役職がついていたり、定年退職した後の再就職先でプレッシャーから解放されてのんびり働いていたりするかもしれません。
ハラスメントを受けて、死なずに生き延びた人だけがたどり着く「問い」があると私は思います。
それは、
- ハラスメントをした人間が今もどこかで生き続けていることへの気持ちの折り合いをどうやってつけるか。
- まともで、賢い人もいて、無害だった人が、加害的な人物が現れた途端に傍観者になって誰も助けてくれなくなる人の変わりようへの不信感を、人生の中でどうやって修正するか。
です。
このあたりを考えて言語化することが、ハラスメントで死んでいった人たちの供養になり、生き延びて今もフラッシュバックに苦しんでいる人の自殺のストッパーになると考えています。