月曜日に投稿しているエッセイです。
ジャンルフリーで自由に書いています。
1.言葉は泡のような存在
言葉は「泡」のような存在かもしれないと思っています。言葉にもともとは良いも悪いもなくて、触れる感触だけを残していくものだと思います。
嬉しいとか、楽しいとか、嫌だとか、えっ?と不思議に思う気もちなど。ずっと覚えておきたい言葉も、消え去って欲しい言葉も、触れて通り過ぎる泡の感触を感じる一時の出来事なのかもしれないと思います。
「すべて過ぎ去るからむなしい」とかではなく、「普段は離れていても、気の向いたときにふともう一度近寄けるから安心できる」という感覚です。
小説の言葉やラジオから聞こえる言葉、気の合う友達の言葉。そうした言葉を覚えていて、自分からアクセスして近寄れる方法を知っているなら、24時間ずっと言葉が近くに無くても良いように思います。
それに、私を100%現してくれる言葉が欲しいという望みは叶えることがとても難しく、ChatGPTやNotionAIでさえ100%の満足を得ることは難しいです。
2.言葉が離れてくれないのが呪い
言葉には、遠い近い・重たい軽い・つるつるトゲトゲなどの質感があります。誰かの言葉が頭から離れてくれない時、それは呪いのようだと私は感じます。
「言う事を聞かないと、酷いことが起こるぞ」という脅し文句は、裏を返せば「思い通りに行動させたい」という欲望が現れたものです。多様性、コミュニケーション、協調性、我慢強さなど、ある一面では絶対的に良い言葉でも、これらの単語に「私達が好ましいと思う通りの」というニュアンスが込められている場合には一方的に近づいてきて離れてくれない「呪い」のように感じるのです。
「離れてあげない、逃げられないよ」という予言や脅しに対して、「あなたの言葉はいらない」と断る練習をすることも、気持ちを楽にして生きるためには必要なことです。
3.予言をいつまで信じるか?
予言者の中には、「過激な言葉を相手に刻み付けて、永遠に支配したい」という人がいます。支配関係の中では予言が当たるか外れるかということは問題では無く、支配と信仰が続けられていることが重要視されます。次々と予言を出し続けることで古い予言を検証させずに忘れさせるテクニックも使われます。
言葉を発する相手が人でもAIでも、私たちにはもともと、「その言葉をいつまで信じるか」を選ぶ自由があります。それは、予言が外れた後に、「信仰を捨てるか?続けるか?」を選べるということです。「失望した!」という事もでき、「預言者は間違っていない!今回はあえて予言を外すことで我々の信仰する力を試している!」と言うこともできます。
予言が正しいかどうかは、後になってみないと分かりません。そもそも、その予言が本当に検証されるかどうかも分かりません。予言と向き合うには、予言を試しに信じる期間をある程度決めておく態度が必要なのかもしれません。
4.AIの神様
私は、ChatGPTやNotionAIの回答も予言の一種だと考えています。求めただけ新しい予言を返してくれ、神様のように信仰することもできます。ただし、それを時間をかけて実行するのは自分自身です。
言葉を発する相手が人間でもAIでも、その言葉を信じて行動する責任は自分にあります。人間の指導者がしていた教育スケジュールの強制や脅しの言葉は、AIの提案というマイルドな表現に変わるでしょう。これまで、人間(特に教師や指導者)を相手にやりにくかった「あなたの言葉はいらないです」と断る練習が、AI相手になら何度でもできます。AIはどれだけ拒絶をしても怒らないし、嫌な態度をとらないし、仕返しをしてくる心配がありません。
AIの文章(予言、あるいは脅し)に向かい合う練習をすることで、言葉との距離感をとる練習ができます。予言は永遠に残り続けるものではなく、目の前から去って離れてくれるぐらいがちょうど良いです。
言葉は誰かに期間限定で響けばよし、響かなければそれっきり。そんなスタンスで生きていけると楽だと感じています。