月曜日に投稿しているエッセイです。
フルーツジュース、炭酸飲料、お気に入りのコーヒー。中身そのものよりも、器があることが、心を安定させてくれるのかもしれません。「私のための器」と「プロセスを蘇らせようとする心」をテーマに、心の拠り所を考えます。
1.人を透明にする仕事
人を透明にする仕事がある。
私が私でなくてもいいような、結果が決まっていて、どこかには代わりがいて、仕事ってそういうものだよね、とごまかしながら、とりわけて思い出されることもなく、来てくれるなら相手が誰でもいいような仕事をしていると、体が透明になる。
目の前のことに対処しているうちに、混乱して、訳わからない世界にいるような気がしてくる。同じ電車に乗り合わせている名前も知らない人達。その全員に、それぞれの人生があって、家があって、両手両足がついていて、明日のことを考えていて、おびただしい人の数に、なんだか圧倒されるような気持ちになる。
混乱した世界で、いつもの刺激が欲しくなる。
2.コンビニは楽しい
コンビニって色があるから楽しい。
冷たいペットボトルや熱い紙コップに触れると、透明になりかけている私が輪郭を取り戻したような気分になる。駅のくすんだコンクリートを見ているよりも心が晴れる。
フルーツジュース、レモネード、ホットコーヒー。
選んで手に取ると、私がぼうっと世界に現われる気がする。
お金を払うと、私がもう少しだけ世界に現われる気がする。
開けて飲んだ瞬間、私はハッキリと世界に現れる。
いつもの味、重さ、さわり心地、香り、のどごし。まだ明るい空が広がる。圧倒されそうな世界で、私の輪郭といつもの感覚が戻ってくる。
のどが潤うと「ああ、何かがすり減っていたな」と思うし、「頑張ってるよね」と自分を褒めたくなる。
3.小さな器は愛情だ
水でもコーヒーでも、私のための器がある、ただその事が嬉しいと思う。
小さな器ってきっと愛情だ。他の人が淹れてくれたコーヒーはいつもより美味しいし、ファミレスのお皿に乗った料理は特別な気持ちになる。
べつに機械が淹れたコーヒーでも、レンジでチンしたポテトフライでもいいけれど、キレイに包装されていたり、器がデザインされていたりすると気分が上がる。「あなたのために用意したよ」と言ってくれているみたいで、元気が出てくる。
自由にできる器があるって楽しい。
4.大きな器は安心感をくれる
もっと大きな器は、私たちを安心させてくれる。デカくて包み込んでくれる器。
いい車、いい家、肩書き、自分のイメージ。多くの人が見てくる私の器。ちょっとやそっとで崩れないやつ。
大きな器を持つことって気分が良い。人に見せつけるともっと気分がいい。これが私なんだと強さをアピールできて、世界にハッキリとした輪郭線を引いてくれる。
ちょっと気になるのは、手のひらサイズの器に比べて、大きな器や見えない器を手放すのはけっこう大変だ。
住んでいる家とか、入っている部活動とか、働いている会社の肩書きとか、「イコール私」になっている器を手放すのは、それが大きくて、長く持ち続けてきて、手に入れるのに苦労したものほど、手放したくない。
5.器を手放す練習をする
奪われるのも、壊れるのも、汚されるのも不安。
辞めると"はずれる"し、自分が崩壊する気持ちになる。輪郭線が失われて透明になる。くすんだコンクリートと同化する存在になってしまう。
この感情って、結構あぶないよ!
「大きな器=私そのもの」だと、時間が経つと壊れて朽ちて、世界から色が褪せていく。風景と同化して、忘れ去られて透明になる。手に入れた車、家、肩書き、年収、部活会社主義国家。包まれて、含まれるほど透明になる。名前さえ呼ばれなくなる。
少しずつ何かをやめる練習や、離れる練習が必要かもしれない。手放す練習をして、揺れ動く感情に慣れていく。離れたときの嬉しさや、悔しさや、ホッとする気持ちを感じとる練習をする。
仕事帰りに飲むコーヒーは、きっと器を手放す練習だ。
6.姿かたちは変化する
器はいつか消え去るし、中身をため込み続けることはできない。すべてのものが変化を続けている。
水は止まっているように見えて、水素と酸素の周りに、小さな電子が雲のように広がりグルグルと回っている。
桜のゴツゴツとした幹の内側では、水分が不思議なスピードで駆け巡る。
自動車の車体は、熱を与えて生み出されて、役目を終えればまたドロドロに溶かされる。
課長や係長といった役職の数は、増やすことも減らすこともできる。
何億何兆もの変化の組み合わせから一つが形として現れて、私に触れて何かを残す。パートナーが淹れてくれたコーヒーだって、何億何兆分の一の巡りあわせで目の前に現れている……ちょっと壮大すぎる?
ともかく、どんな姿かたちの存在も、いつかは変化し、いつか手放すことを意識するから、限られた時間の中で大事にできる。
7.プロセスを思い出す力
手放す練習をすればするほど、心穏やかに過ごせるような気がする。
それはきっと、何かを手放した分だけ思い出す力がつくからだと思う。手放すから余裕が生まれて、未来にちゃんと期待ができる。
飲みたい、食べたい、息を吸う、息を吐く、声を生み出す。その一連のプロセスに、機械ではない人の心が現れている。のどを動かすプロセスが、人と人とをつなげる。
生み出す声が無数の泡のように、肌や鼓膜に触れて感触を残して消えてゆく。残した文字が、頭の中で音や声になり、やがて消え去る。そうして、通り過ぎた泡一粒の感触を、もう一度世界で感じたいと思えるところに人らしさがある。
そして、人に過去を思い出す力があるからこそ、触れた泡の一粒に、意味があったことを感じられる。
8.思い出される良い仕事
仕事で商品をリピートしてくれたり、「またお願いね」と言ってくれたりする人がいると嬉しいのは、誰かが自分を思い出すことを実感できるからだと思う。
思い出して、名前を呼んでくれる人の存在が、世界で透明になりそうな私たちに輪郭と色を与えてくれる。
ゆったりとテーブルに向かい合って座って、好きな飲み物の入った器にそれぞれに触れて、飲んだり喋ったりして、あと片づけをして、いつかそれが穏やかな時間だったと思い出す。
人と時間を過ごして、離れた経験を重ねた数だけ、思い出すことも、思い出さないことも、きっと上手にできるようになる。
一匙の砂糖を入れたコーヒーのように、通り過ぎるものたちの思い出が、今日一日を、また、豊かにしてくれている。