シリーズ「月曜日のエッセイ」第9回です。今日のテーマはSNSで怒る人の心理とトラウマです。
怒っている人の姿に「気づいて欲しかった」という悲痛な叫びがあるかもしれないと感じたことをキッカケに書きました。
SNSでいつも誰かが怒ってるよね。
悲痛で叫ぶようなツイートが数万のいいねを集めてバズる。それに引き寄せられて、「私も昔~」「その通り!」「許せない!」と書いている。
不思議なくらいみんな怒ってる。
強い不満はたしかに社会を動かすことがある。けれども、そういう強い感情が押し流してしまう気持ちだってある。
たとえば「嫌な記憶を忘れかけていたのに、よくも思い出させてくれたなコノヤロー」という投稿者への不満。マイノリティの発信には「ごめん、気づかなかった」と無関心だったことのお詫びや、「苦しい状況をどう乗り越えるのか、お手並み拝見」という好奇心。
純粋に「負けるな頑張れ!」と励ます応援サポートもある。「わたしの時は我慢するしか無かったのにずるい!」という嫉妬だってある。
怒ると全部がいっしょくたになる。怒り「で」共感しようとすると、ちょっとずつズレていく気がする。怒りの原因が読んだ人のトラウマにあるのなら、お互いのためにもなおさら、自分と相手の感情の線引きが大事になる。
線引きをすれば、「悪い風習は自分たちの代で終わらせる」とか、「上の世代からされて嫌だったことを、次の世代にしないようにしよう」と行動できる。言葉の裏には加害者への怒りがある。でもずっと静かな怒りだ。それは周りへの笑顔として現すこともできる。社会を変えるのはこうした静かな怒りだと思う。
トラウマはきっと癒える。毎朝食パンを食べたり、植木鉢に水をやったり、掃除機をかけたり、自転車に乗ったりして日常を過ごすうちに、思い出すことに慣れていく。漢方薬や日にち薬もきっと効く。心が弱まった時期には人の助けを借りて、やり過ごして、しぶとく生きる手もある。
もし周りに「気づいてあげられなくてごめんね」と言ってくれそうな人がいるなら、その人との縁は本当に長く大事にするべきだと思う。
どれだけ悲惨なニュースが流れてきても、自分と他人の感情は線引きをしてもいい。何かに怒りたくなったなら、自分を大事にしてくれる人たちと一緒にアイスクリームを食べる時間をつくるといいかもしれない。そのあとにエネルギーがあれば、「負けるな、がんばれ!」という意味で、いいねを1つ押せばいい。